「竹島の日」島根県が式典 14回目、街宣活動で騒然

「竹島の日」島根県が式典 14回目、街宣活動で騒然

2019/02/22
韓国が実効支配する竹島(島根県隠岐の島町)を巡る領土問題の解決を訴えるため県が条例で「竹島の日」と定めた22日、県は溝口善兵衛知事らが出席して「竹島の日」式典を開いた。

政府は安藤裕内閣府政務官を派遣。政務官出席は7年連続となる。

松江市では右翼団体関係者が領有権を主張する演説を繰り広げ、午前から騒然とした。

2月22日を竹島の日と定めた県条例に基づく式典は14回目。

韓国人元徴用工訴訟の対応や、韓国海軍艦艇による自衛隊機への火器管制レーダー照射問題などで日韓関係の冷え込みが著しい中での開催となった。

「BGMの手数料率を倍以上に引き上げまーす」

JASRAC「BGMの手数料率を倍以上に引き上げまーす」

2019/02/21(木)

日本音楽著作権協会(JASRAC)は19日、作曲家など権利を持つ人に著作権使用料を分配する際に差し引く手数料率の一部を9月から変更すると発表した。

コンサートなどの演奏会の場合は、徴収した著作権使用料のうち25%を手数料として差し引いて権利者に分配していたが、入場料に定員数を掛けた額が5千万円を超える特に大規模な演奏会などの場合は、この手数料の割合を15%に引き下げる。

ライブやコンサートの市場が活況であるため手数料収入が増えており、引き下げても分配に必要な業務をまかなえる見込みになったからだという。

一方で、美容院や飲食店などで流される「BGM」の場合、手数料率を12%から25%に引き上げる。

2002年にBGMから徴収を始めた際には、個々の店が有線放送のサービスを提供している企業を通じてまとめて使用料を支払うことが多く、効率的に著作権使用料を徴収することができた。

だが近年はインターネット上で音楽を配信する定額のストリーミングサービスが普及するなどBGMの利用形態が多様化。

それぞれの店から個別に使用料を徴収しなければならないなどのケースが増え、手間がかかるようになったため料率を引き上げるという。

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北部九州に紀元前の硯製作跡

「倭人が使っていたとしか言いようがない」  国内の文字使用開始、300年以上さかのぼる可能性

2019/02/20(水)

弥生時代中期中ごろから後半(紀元前2世紀末~前1世紀)に石製の硯(すずり)を製作していたことを示す遺物が、北部九州の複数の遺跡にあったことが、柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)の調査で明らかになった。

国内初の事例。

硯は文字を書くために使用したとみられ、文字が書かれた土器から従来は3世紀ごろとされてきた国内での文字使用開始が300~400年さかのぼる可能性を示す貴重な資料となる。

硯の遺物が見つかったのは、潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡(福岡県糸島市)=前2世紀末▽中原遺跡(佐賀県唐津市=同▽東小田峯遺跡(福岡県筑前町)=前1世紀=の3遺跡。

既に出土していた石製品を柳田客員教授が再調査したところ、末広がりになる形状の薄い板で、表が磨かれ裏が粗いままという硯の特徴を示しながら、仕上げがされずに破損したものがあり、未完成品だった。

墨をつぶす研ぎ石の未完成品や、石材を擦って切断する道具・石鋸(いしのこ)も確認され、現地で硯が製作されたと判断した。

中国での硯の使用開始は戦国時代末(前3世紀)で、前漢時代に長方形の板石製が普及し始める。

日本の弥生時代の硯は北部九州を中心に近年相次いで確認され、文字の開始を早める資料として注目されたが、国産かどうかは不明で、古くても年代は1世紀ごろまでだった。

今回はさらに100年以上早くなるうえ、中国の板石製とほぼ同年代に国産の硯が作られていたことになる。

柳田客員教授は「倭人(わじん)(当時の日本人)が使っていたとしか言いようがない。硯は文字の需要があったから作った。地元産の石を用いた可能性がある。中国製を模倣しつつ独自の形状をしており、国産化する際にモデルがあったのでは」と話している。【大森顕浩】

■外交や交易で文字使ったか

西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)の話 弥生時代の文字文化の定着と広がりが想像以上に古かったことを意味している。

硯が国産されていたことは、中国から流入した文字が日本に定着する過程を示す。

外交や交易の際に文字が使われたのだろう。

日本人の私のルーツは『陳』だった

日本人の私のルーツは『陳』だった…」61歳で知った祖先の秘密

2019/02/18

思いもかけず、祖父が中国に祖を持つ「陳」氏の末裔だったことを知った。61年の人生で、初めて自分のルーツに触れた私は戸惑った。さらに取材を進めると、世界中に広がり、歴史を編んできた華僑の人々の姿を垣間見ることになった。

*  *  *

身もふたもなく明るい照明とシャンデリア。1卓10人は座れる丸テーブルの数はざっと100。客の列がホールの外まで続いていた。

2018年11月24日。中国・香港のブライダルホール。会場には、「世界舜裔宗親聯誼會第二十六届國際大會」の文字がプロジェクターで映し出されている。参加者は約千人。アジアの華僑を中心とした年に1度の大交流会が始まろうとしていた。

通称「陳さん世界大会」。日本の華僑の人たちはそう呼ぶ。正式には陳氏を含む中国の十姓の祖先とされる舜氏を崇(あが)め、始祖を同じくする各氏が集う大会である。各国から華僑の所属団体単位で参加。計約50。集まった人たちの姓は圧倒的に陳氏が多い。「陳さん世界大会」というのもうなずけるのだ。

毎年、東南アジアの有力都市で開催され、17年はフィリピンのマニラだった。3泊4日。初日は歓迎会。歌やダンスなどが次々に披露され、大音量で音楽が流される。毛沢東そっくりのタレントも登場した。酒が回り、あちこちで「乾杯! 乾杯!」の嵐。ステージ前は集合写真を撮る人で黒山の人だかり。大宴会は4時間近く続いた。

2日目は、参加者全員で屋外での集団写真撮影。マニラ中心部のビルにある御堂に場を移し、舜氏を祭る「祭祖大典」。午後はホテルで各国代表団役員による活動報告と同士結束の決意などを表明する代表大会。2段横1列、ズラリと役員が整列した様は、共産党大会のような趣だ。食事会も兼ねて3時間。4時間後には2回目の大宴会。最終日には市内観光の後、別れの大晩餐会。散会は深夜12時に近かった。莫大な費用であることは想像できたが、多くは、開催国の団体が拠出しているという。フィリピン宗親会の陳凱復団長は、「費用は全く心配しない。お金は集まる」と平然と答えた。東南アジアの華僑は政財界の重要なポストについている人たちが多く、資金力をうかがわせた。

「陳さん世界大会はすごいよ」

出発前に日本の華僑の人たちから聞いていたが、予想をはるかに上回るエネルギーに圧倒されっぱなしだった。

私は華僑ではない。日本生まれで日本国籍を有する日本人だ。それがなぜ「陳さん世界大会」に参加したのか。

ひょんなことから私の祖先が陳であることが“判明”したからである。

話は16年10月にさかのぼる。長崎市の郷土史家で、元長崎市立博物館長の原田博二さんの東京での講演を聴きに行った時のことだ。テーマは「唐人屋敷と中国文化」。鎖国していた江戸時代、幕府は長崎を通してオランダ以外に、中国とも貿易をおこない、取引高はオランダの3倍以上に達した。

●突如降ってわいた祖先との出会いに戸惑い

唐通事の話になった。唐通事とは中国語の通訳のことだ。彼らは中国からの渡来人だった。著名な三家があった。その一つ林家は林(りん)氏の出である。劉氏は彭城(さかき)と名を変え、陳氏は「えがわ」と名乗る。表記は「江川」ではなく「頴川」。その瞬間、ひっかかるものがあった。「頴川」は、母方の祖父の名字ではなかったか。母の旧姓は山下だが、祖父は、幼少期に山下家に養子に来たということを、以前ちらりと聞いていたのだ。元の姓が確か「えがわ」だったはず。

実家の母に電話した。記憶は正しかった。表記も「頴川」で間違いなかった。となると、私は唐通事の家系なのか。「はあ?」。突如降ってわいた“ルーツ”との出会いに正直、戸惑った。

「証拠」の一つとなる資料があった。『五島黄島(おうしま)郷土誌』。302ページ。厚さ2センチ。編纂(へんさん)は1994年。黄島は、五島列島の福江島の南南東に浮かぶ周囲わずか4キロメートルのけし粒のような島である。祖父がその島の出身という話を聞いたのも最近のことだ。

島の歴史や編纂時の全島民の家系図も網羅されていた。祖父の名前は住太郎。養子となった山下長助の家系図には私の母と母のきょうだい計7人の名前。それぞれ配偶者の名前も明記されていた。住太郎の名前の横に、「頴川伊之助2男」と記載。頴川家のページを見ると、住太郎の名前があり、横に「山下長助養子」とある。母は、母親(住太郎の妻)や山下の育ての母からも、「住太郎は頴川からの養子」と聞かされていた。祖父が頴川家の血筋であることは確かなようだった。だとしても唐通事と同じ姓の人間がなぜそんな小島にいたのか。そもそも唐通事とはどんな人たちだったのか。

長崎は、16世紀後半、朱印船貿易が盛んで唐船は長崎をはじめ西日本各地に入港していた。17世紀前半、徳川幕府は、唐船の窓口を長崎だけに限定する鎖国政策に転換。唐船が大挙して長崎に来航した。

当時長崎の町に滞在していた唐人は数千人。鎖国以前から長崎に居住していた唐人(住宅唐人)たちの中から唐通事が任命された。貿易拡大とともに唐通事の数が増え、通訳だけでなく、貿易業務や密貿易の取り締まり、監視、情報収集など広範になっていく。大通事、小通事、稽古通事など役職も仕事の軽重に応じて分けられた。林、彭城、頴川は、大通事を出す名門三家として歴史資料に出てくる。

「彼らは帰化して日本名を名乗る際、中国の出身地の名前をつけたのです」

そう説明するのは、長崎中国交流史協会専務理事の陳東華氏。福建省出身の貿易商の4代目。陳のルーツを長年研究している。陳東華氏によると、陳の祖先は、古く河南省の潁川(えいせん※地名は「潁」となっているが姓には「頴」を用いたりしている)という土地にいたが、明の滅亡や戦乱などで中国各地に広がって住み着いた。福建省もその一つで、何百年もの時代を経て日本へと渡った人たちも多かった。出身地の福建省の村を陳東華氏が訪ねた時、中心部に先祖の位牌(いはい)を集めた祠堂(しどう)があり、「自分たちは潁川から来た」という意味の文言が書かれていた。

「帰化しても自分のルーツに誇りを持ち、代々語り継ぐために陳氏は皆、頴川としたんです。だから頴川は100%、陳です」(陳東華氏)

●五島には相当な頻度で、朝鮮などの船が漂着

ただ、江戸時代二百数十年間にわたる唐通事の家系が書かれた『唐通事家系論攷』に私の祖父の家系の名前は出てこない。唐通事は世襲制で、江戸末期には、800人以上の唐通事がいたので、下級通事のことまでは分からなかった。

祖父の生まれた五島・黄島に行ってみることにした。長崎港から五島・福江港まで距離約100キロ。高速船で1時間25分。そこから黄島まで約18キロ。小型旅客船で40分弱。

黄島は、眠ったような島だった。初めて訪ねた17年4月の時点で人口は40人。多くが高齢者。島には延命院という真言宗の寺がある。開祖は元禄2(1689)年。港周辺だけにしか人が住んでいない小島に真言宗の寺があるというのは島の歴史を感じさせた。

黄島周辺は、昔から外国船の往来が多い地域で、寛永14(1637)年に五島藩は、黄島をはじめ7カ所に遠見番所を設置し、船の往来を監視、通報させている。黄島は外国船が東シナ海を通って真っ先にやってくる位置にあった。対馬海流が五島列島にぶつかるように北上しているからだ。

『五島編年史』という史料を見つけた。江戸時代の五島藩の記録をまとめたものだ。驚いたのは、唐船や朝鮮などの船が相当な頻度で五島に漂着していたことだ。天和年間(1680年代)の記録に次のような記述があった(以下、現代語表記で)。

「異国船の五島領内に漂着せるを認めたる時、発見者はいち早くこれを最寄りの代官に報ず」「福江より人を派して保護監視し、難破の状況に応じて適切なる処置を講じ、長崎に曳航せしむ」

寛政10(1798)年、(五島藩が)「長崎にて唐通詞(ママ)頴川藤吾を召し抱ふ」とある。享和2(1802)年11月、いまの上五島に90人が乗った唐船が漂着、通事の頴川真助を(五島藩が)差し出している。

●華僑は冷静に「私たちは政治に関わらない」

黄島との関係を示す記述も見つかった。文政11(1828)年12月、黄島に唐船漂着。船は警固役が長崎に送り、「質唐人は別船にて頴川丑之助附添出崎す」とある。頴川丑之助は、この5年前にも黄島に漂着した唐船を護送していた。丑之助は、福江で通事として仕事をした記録が残っている。唐船が漂着した際、福江から黄島に派遣された可能性があった。しかし丑之助が黄島に住んでいたことを裏付ける記録は書かれていなかった。

長崎の郷土史家、原田氏はこう話す。

「黄島は(外国船が渡来する)最前線ですから、常駐しなくとも頻繁に中国船が現れる時期に黄島に行き、拠点を見つけて住み着いたこともありえます」

黄島は、江戸中期、西九州の鯨漁の拠点となった。最盛期の明治から大正時代にかけて島の人口は1千人に上り、遊郭も2軒建つほど栄えた。頴川家は鯨の網元でもあった。

貿易船に乗って五島にやってきた人々が住み着き「頴川」を名乗った可能性はないのか。原田氏は、「それも否定できない」という。その場合でも、「陳氏であることを何らかの方法で証明しないといけない」と話す。

16世紀から17世紀。五島には、「私貿易」の商人たちが続々とやってきた。その一人、王直は五島・福江を根拠地とし、唐人町までできた。近松門左衛門作の浄瑠璃、歌舞伎でも知られる「国性爺合戦」の主人公・鄭成功の父・鄭芝竜は、長崎・平戸を拠点としていた。そんな一群の中にいた陳氏の中の誰かが、五島に住み着き、私の祖先となったのだろうか。

「陳さん世界大会」にカンボジアから参加した陳廷偉氏は、「親から陳の子孫だと教えられた。共通の祖先を持つのは喜ばしい」と誇らしげに語った。

18年の香港大会では、ステージに「一帯一路」の文字が躍っていた。中国・習近平政権の看板政策を表すスローガンに、一瞬ドキッとしたが、華僑の人たちからは、「勢いを表すもので、意味はありません」「私たちは政治には関わりません」と、クールな声が返ってきた。それも、故国喪失の歴史を体験した陳姓の人たちの血なのだろうか。(ノンフィクション作家・高瀬毅)

から揚げにトッピングする調味料

から揚げにトッピングする調味料 7位 醤油、5位 マヨネーズ

2019/02/18(月)

・から揚げにトッピングする調味料ランキングトップ10

1位 なにもつけない 31%

2位 レモン 24%

3位 塩 14%

4位 ウスターソース 5.3%

5位 マヨネーズ 4.7%

6位 コショウ 3.7%

7位 醤油 2.3%

8位 ポン酢 2%

8位 とんかつソース 2%

9位 大根おろし(大根おろし醤油) 1.3%

9位 ワサビ(ワサビ醤油) 1.3%

10位 ニンニク(ニンニク醤油) 1%

10位 ショウガ(ショウガ醤油) 1%

10位 マスタード 1%

・調査対象者たちの声

「いつも塩と胡椒で食べるなあ」

「味が薄いタイプは辛子醤油か辛子マヨを少しつけるかなぁ」

「知り合いに味付けが濃いやつでもソースかける人がいる」

「何も付けなくても下味だけで十分です レモンを掛ける方が居ますが、あれはとても苦手」

「店で食べる時に、最初から皿の隅にマヨネーズ等が添えられてたら、ちょっとつけて食べることはある」

「味が薄い時はケチャップ+タバスコ 気分によってはマヨ」

「酒しょうが醤油で何時間か下味付けたら調味料は要らん それでもマヨつけようとする人もいるが」

「酒しょうが醤油で何時間か下味付けたら調味料は要らん」

「レモンがいいね」

ライセンス解消の衝撃

イソジン」が、カバくんに別れを告げた理由

明治、看板商品を襲うライセンス解消の衝撃

2015/12/21

うがい薬の代名詞である「イソジン」ブランドを、明治ホールディングス傘下のMeiji Seikaファルマが2016年3月に手放すことになった。

50年以上育ててきた主力ブランドに別れを告げる。

イソジン商標を持つ米国の製薬会社ムンディファーマが、明治とのライセンス契約の解消を求めたためだ。

うがい文化の定着に貢献したイソジン

「イソジンブランドを手放すのは本意ではなかった」と、明治でイソジンのマーケティングを担当する秋田康一郎・機能性栄養食品グループ長は、打ち明ける。

明治はムンディとの提携で、イソジン製品の国内における開発・製造から販売・普及までを担ってきた。

1961年に医療用医薬品の外用消毒剤を発売し、1983年には一般用医薬品としてうがい薬を発売。

1985年からはカバのキャラクター「カバくん」を登場させ、テレビCMや小学校・幼稚園でのうがい教室などを通じて“うがい文化”の定着を図ってきた。

一般用医薬品のうがい薬の国内市場規模は2014年度で81億円で、明治のシェアは約5割。

2016年3月期のイソジン製品(一般用医薬品)の売り上げは35億円を見込み、明治の一般用医薬品部門の主力製品の一つだ。

数年前に契約更新のタイミングを迎え、内容について明治側とムンディ側は交渉を続けていた。

明治側は長期的な提携関係の維持を望んでいたが、2015年3月に、ムンディファーマからイソジンブランドのライセンス契約解消の通知が届く。

8月には明治がそれを了承する形で、契約解消に伴う合意書をムンディと締結した。

ムンディが一見唐突に契約解消を求めてきたのには、理由がある。

同社は慢性腰痛やがんに伴う痛みの治療薬などを欧米中心に販売してきたが昨年から日本を重点地域に定め、積極投資を開始している。

その一環で、日本市場に浸透したイソジンブランドの自社展開を決断した。

50年超の蜜月関係に打たれた終止符

契約解消の合意に基づき、ムンディは来年3月末に「イソジンうがい薬」などの一般用医薬品、8月初めに「イソジンガーグル液」などの医療用医薬品の製造販売承認を明治から引き継ぐ。

カバくんは明治に残留する

単にこれまであった製品を引き継ぐだけでなく、今後は新製品の追加も視野に入れる。

ムンディは殺菌成分ポビドンヨードを含むイソジン製品を、海外30カ国以上で「Betadine(ベタダイン)」ブランドで販売している。

海外では日本にまだないフェミニンケア用や、きずスプレーなど幅広い製品を販売しており、イソジンブランドで日本に投入することも検討する。

ムンディは国内の自社の販路がまだ充実していないため、来年4月からイソジン製品を販売するパートナーとして、塩野義製薬を選んだ。

塩野義はムンディと技術提携して、1989年に国内初のがんの麻薬性鎮痛薬「MSコンチン」、2003年にもう一つのがんの麻薬性鎮痛薬「オキシコンチン」を開発・発売。ムンディとのかかわりは長い。

塩野義にとって、うがい薬などのイソジン製品は、強みの一つである感染症領域のラインナップ増強になる。

塩野義は4月に一般用医薬品事業を「シオノギヘルスケア」として分社化し、さらなる強化を図ろうとしていたところ。

すでに地位が確立したイソジンブランドは強力な援軍だろう。

対する明治は来年4月、今のイソジン製品と中身が完全に同一で、ブランド名だけを変えた製品を発売する。

その名も「明治うがい薬」。

契約解消後もイソジン商標以外の成分、容器・包材などは、引き続き明治も使用でき、すでに製造販売承認を得ている。

しかも、トレードマークの「カバくん」は明治だけに残る。

そのため、明治は今後カバくんを前面に押し出したプロモーションを行う。

パッケージデザインは、現状のカバくんを用いたものを踏襲。

変わった点は、製品名と、パッケージの側面にカバくんのイラストと「いつものカバくんと『うがい』をしよう!」「効き目は変わらないよ」「ず~っと変わらない味」という文言が加わったことだ。

イソジンを手放して、明治が歩む独自路線

同社ウェブサイトより

12月9日にはうがいに関する情報提供を行うWebサイト「明治カバくんうがいラボ」を立ち上げた。

明治の秋田グループ長は「イソジンはヘビーユーザーに支えられている。

『明治うがい薬』になっても、中身がいっさい変わらないことを理解してもらい、2016年度も今年度計画と同じ売り上げを維持したい」と語る。

実際、ドラッグストアなど流通業界との商談でも、「ここまで同じなら良いのでは」という好感触を得ているという。

一方、ムンディが開発・製造し塩野義が販売する新たなイソジン製品も、これまで明治が販売していたイソジン製品と中身は同じだという。

しかも、パッケージには「カバくん」ではないが、カバのようなキャラクターを採用。

つまり、来年4月からは、中身とキャラクターの動物は共通でブランド名が違う、2陣営のうがい薬が店頭で激突することになる。

うがい薬市場は新型インフルエンザの流行で盛り上がった2009年をピークに、マスクなど感染予防手段の多様化を受け、徐々に縮小している。

明治一強体制はイソジンブランド喪失で”ガラガラ”と崩れてしまうのか、本家本元のカバくんを持つ明治が健闘するのか。

うがい薬市場は半世紀ぶりの転機を迎えている。

米の強い決意

「台湾を中国に渡さない」米の強い決意 挙国一致で習政権と対峙へ

2019/02/16(土)

「中国人は中国人を攻撃しない」

中国の習近平国家主席は先月2日、台湾に統一を呼びかけた「台湾同胞に告げる書」の発表から40周年を記念する式典で演説した際、こう語った。

だが、この話を誰が信じるのか? 習氏は「八二三砲戦(金門島砲戦)」をご存じないらしい。

人民解放軍は1958年8月23日、福建省アモイからほど近い金門島(中華民国・台湾領)に、戦闘開始から2時間で4万発というすさまじい砲撃を行った。
10月5日には、いったん終結したかに見えたが、その後も「隔日攻撃」という形で、79年1月1日までの約21年間にわたり砲撃が続けられた。

中国人が中国人を攻撃し、台湾同胞も戦渦に巻き込まれたのだ。

砲撃戦だけではない。

中国国民党の蒋介石軍による、47年2月28日に起きた「二・二八事件」を知らない台湾人の大人は皆無に等しい。

一説には2万人以上の罪なき台湾人が殺された。

習氏は冒頭の演説で45回も「統一」に言及し、祖国統一の最善の方法は「一国二制度」だと強調した。

だが、香港返還で97年7月1日から実施されてきた同制度で、香港人の自由と民主は大幅に後退し、人権が圧迫されている悲惨な現実を、台湾の若者層を含め熟知している。

ならば、台湾の人々が統一を望むはずもない。

民進党の蔡英文政権の支持率が低空飛行なのは、「台湾独立路線」を封印しているからなのだ。

さて、米国が国内法で「台湾関係法」を制定して、今年の元日で40周年になる。同法で、台湾の存続は保証されてきた。

ドナルド・トランプ米大統領は加えて、米海軍の艦船を台湾の港に定期的に寄港させることなどを盛り込んだ「2018年国防授権法案」に署名(17年12月)した。

米国のすべてのレベルの政府関係者による台湾訪問および、対等な行政レベルにある台湾の政府関係者への訪問を解禁する「台湾旅行法」にも署名(18年3月)した。

事実上の大使館である米国在台協会(AIT)の新庁舎(台北市内湖)の落成式も昨年6月に行われたが、これは米台関係における「一里塚」と位置付けられた。

さらに、昨年の大みそかには、アジア諸国との安全保障や経済面での包括的な協力強化を盛り込んだ、「アジア再保証推進法」にも署名した。

同法は、台湾への防衛装備品の売却推進なども盛り込まれている。

トランプ政権による、「台湾を中国に渡さない」という強い決意がうかがえる。
領空や領海の安全保障の問題はもちろん、中国が資金調達や資金洗浄、最先端技術の奪取や転売の拠点として、「一国二制度」の香港を散々“悪用”してきたことを知り尽くしているはずだ。

何より、台湾企業が世界に誇る半導体製造技術が、中国共産党と軍の手に渡ってしまえば、中国の軍拡は一気に加速してしまう。

世界規模の巨大企業が幾つもあり、人材も豊富な台湾は「中国製造2025」を掲げる習氏にとって“宝の山”なのだ。

台湾への武力行使の可能性を排除しない習政権との対峙(たいじ)について、米国は挙国一致で進んでいる。日本が傍観者で良いはずがない。

=おわり

■河添恵子(かわそえ・けいこ)

隕石

隕石

昔は、隕石が落ちると地名にして、掘り出さずにその場所に神社を作ってたそうだ

田んぼに隕石が落ちた→星崎

クレーターが鍋のようだったから→神鍋

天から降ってきたので→布留

上から落ちてきたから→上

山が無くなって丘になった→神岡

集落が全滅した→神郷

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結局隕石の希少さで値段が決まってきますので、例えば鉄隕石だと1g、数百円ぐらいからになりますし、月とか火星だと20万円/gになります。

隕石は鉄隕石1グラム400円ぐらい、パラサイト隕石は1グラム3000~5000円ぐらい。

計算すると重さ10キロの隕石だと鉄隕石で400万円となります。

また、大きさ、希少性、断面図の美しさで決まります。

韓国に何の魅力があるのか分からない

「韓国に何の魅力があるのか分からない」=“韓国より日本”の中国人観光客、専門家は「まずは自省」呼び掛け―韓国紙

2019/02/15(金)

2019年2月13日、環球網は、春節期間に韓国を訪れる中国人観光客が激減したことについて、専門家が「まず、韓国の観光業自身について反省すべきだ」との見解を示したとする、韓国紙・中央日報の12日付報道を紹介した。

記事は、「中国の春節連休中だった9日の午後、韓国・ソウルの繁華街である明洞にある化粧品店の入口には中国人向けの春節特価などと書かれた看板が設置され、店員が大声で『いらっしゃいませ』と叫んでいたが、1時間がたっても中国人観光客は誰1人入店しなかった」とし、この店の従業員が「春節の期間中、数十人がどっと押し寄せて化粧品を買いあさるような場面は見ていない」と語ったことを紹介した。

その上で、「中韓関係の冷えた状態が続いていることで、春節特需は消えてしまったようだ。7~10日に明洞の化粧品店、アパレル店、飲食店など30カ所に春節特需について尋ねたところ、26カ所が『なかった』と回答した。

中韓関係は回復しつつあるとメディアは報じているが現実は異なるようで、『中国人観光客が増えたと切に感じる』と答えた店舗は1つもなかった」と伝えた。

問題は単に中国人観光客の数が減ったことだけでなく、これまで多くの割合を占めていた団体観光客が減っていることだという。

明洞で働く会社員は「数年前、街の至るところに中国ツアーのガイドが持つ赤い旗が揺れていた。

しかし昨年から、ほとんど見なくなった」と語ったという。

ある中国人観光客は「中韓関係の影響で今も韓国には反感を持っている。

ただ、それを差し置いても、韓国に何の魅力があるのか分からない。

友人も、韓国にショッピングに行かず、日本に観光に行きたいと言っている」と語ったことに言及し、問題は単に中韓関係に起因するものではないとの見方を示した。

記事は、「韓国観光業の内在的な部分を充実させるべきだという声もある。

観光学が専門の韓国漢陽大学教授は、ぼったくり行為の改善など、旅行業界の内部から反省すべきだと提起している」と伝えた。

(翻訳・編集/川尻)

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現地の韓国人はよく知っている
一応観光地にはなってるが魅力はなく
前にいる客がリピーターにはならず二度と来ないことを
だからぼったくって少しでも
金を取っておいた方が得だと考える

ネパール国籍の男5人逮捕、

ネパール国籍の男5人逮捕、集団で傷害などの容疑 不良グループ「ロイヤル蒲田ボーイズ」に所属

2019/02/14(木)

警視庁組織犯罪対策2課は14日までに、飲食店で居合わせた客に暴行してけがをさせたとして、傷害などの疑いで、 東京都目黒区の少年(19)らネパール国籍の男5人を逮捕した。

少年は「酒を飲んでいて覚えていない」と供述。

他の4人は容疑をおおむね認めている。

組対2課によると、少年はグループのリーダー格とみられる。

5人は東京都大田区の蒲田駅周辺を中心に活動する「ロイヤル蒲田ボーイズ」と呼ばれる不良グループに所属。

同課は他に関与したとみられる男3人の行方を追っている。

5人の逮捕容疑は、昨年10月19日午後9時半ごろ、大田区のネパール料理店で、ネパール国籍の男子留学生4人をビール瓶で殴るなどし、1人の頭部にけがをさせた疑い。