150年前の大阪に「堺県」

わずか13年で幕、150年前の大阪に「堺県」独自の紙幣や教科書も作っていた事が判明

2018/06/11(月)

明治初期の大阪に、府とは別に堺県があった。

廃藩置県の前の1868年に誕生。現在の堺市を中心に県域は一時、府南部や奈良県にまで広がり、独自の紙幣や教科書を作っていたとされるが、わずか13年後に姿を消した。

今年で誕生150年を迎え、堺市博物館(堺区)は堺県を紹介する企画展を開催。

「あまり知られていない地元の歴史に目を向けてほしい」とする。

堺県が誕生したのは、明治元年にあたる68年。

新政府が幕府の奉行所がある堺を管理するため、6月に大阪府から分離し、現在の美原区を除く堺市を県域としてスタートした。

明治に入り、現在の枚方市にあたる地域から府南部全域までを編入。

71年の廃藩置県後も堺県として存続し、76年4月には奈良県も加えられ、大阪府をしのぐ面積を誇るまでになった。

その後、面積が小さく、財政基盤の弱かった大阪府を、京都など周辺府県と同規模にするため、堺県は81年2月、府に編入されて廃止に。

87年11月には、奈良県が分離した。

堺県については現在、堺市でも知る人は少なく、明治維新から150年の今年、幕末から明治初期に関心が高まっていることから、堺県に関する展示を企画した。

会場には、行政文書など約60点が並ぶ。

新政府の施策を伝えるため、県が掲げた木製の立て札には「堺縣(県)役所」の文字が見える。

73年の職員名簿「堺縣職員分課表」には、知事と職員の氏名が記されている。

大和川の治水工事の費用捻出を目的に、69年に発行した紙幣も展示。

江戸時代の藩札のように県内でしか通用しなかったという。

73年に完成した浜寺公園や76~77年に開かれた「堺博覧会」も紹介。

小学校や堺師範学校で使われた教科書を見ることもできる。

矢内一磨学芸員は「国全体で近代化を進める中、独自紙幣や教育の充実など、堺県が短期間に先進的な取り組みを行っていたことがわかる」と指摘する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です