台湾と南朝鮮

台湾と南朝鮮

2018/08/03(金)

台湾は部族社会であり一体的な社会も全体統治者も事実上存在しなかった

部族というものは(国々がそうであるように)隔たりがあるからこそ部族にわかれている

そこにおいて、全体統治者は超部族的立場、仲裁者としての地位を獲得し得る

近似するのは分断統治における統治者の立場であり、また現代の地球における国連のようなものともいえる

台湾においてその立場に滑り込んだのが日本である

朝鮮半島は、朝鮮民族の国家が全体統治者として歴史的に成立していたので、これを無くすることは反発を生む

まあ朝鮮が日本だったのは1910~1945年と台湾より短いし、朝鮮の両班貴族の奴隷制度と民族性の酷さだよ。

それに尽きる。

台湾は日清戦争で日本が勝利し1895年に日本に割譲された島。(1895~1945の50年間)

その頃は中国(清)が見向きもしない険しい山ばかりの蛮族の島であった。

台湾は不衛生で毎年、皮膚病、ペスト、チフス、赤痢、天然痘や、台湾熱、マラリアあり、特にコレラは1895年に上陸した日本軍の1/3(1945人)が感染し64%が死亡するという酷い有様。

死亡率80%以上のペストには日本も苦労し20年以上掛けて疫病を克服する。

台湾はあの狭い島に20近い土着の部族が居て、中には首狩り族(カニバリズム有)もあり

初期は反乱したりまとめるのが大変だった。

何も無い島にダムや灌漑施設、鉄道、学校、大学、病院、上下水道、銀行等のインフラ整備、

日本の交番システムを使い地域の治安を良くし、田舎では交番の警察官も学校の先生も兼ねていたりした。

盗難や殺人ばかりの台湾が、夜に鍵をかけなくても大丈夫なくらい治安が良くなり、サトウキビや米作りで豊かになっていき台湾人の医師や知識人、技術者なども増え日本統治25年後位には自立した豊かな島となった。

明治天皇が台湾の新高山を詠まれた

「新高の山のふもとの民草も茂りまさると聞くぞうれしき」という御製に台湾人は感激し、明治神宮造営の際に大鳥居用の用材としてベニヒバの大木を伐りだし奉納していたという。

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