二重国籍の大坂なおみ

<二重国籍の大坂なおみ>

日本登録で出場する理由とは

2019/01/27(日)

大坂なおみは北海道出身の母・環さんとハイチ出身の父フランソワさんとの間に大阪で生まれ、3歳で米国に移住した。

二重国籍で、日本語は話す方が苦手。

それでも、日本登録で出場し、「日本人」として初の快挙を成し遂げた。

大坂が日本登録で出場する理由とは?

◇    ◇    ◇

大坂が準決勝を戦う前、1人の米国女性記者が「彼女は本当は米国人よ」と言ってきた。

その記者は、昨年10月のツアー最終戦WTAファイナルの時にも、米国の元世界女王キング夫人に「なぜ大坂を日本に持って行かれたのか」とかみついていた。

3~4歳時、生まれた大阪から米国に移住した大坂は、日本の記憶はおぼろげだ。
米フロリダ在住で言葉も英語の方が流ちょう。

日米の二重国籍なため、米国記者が、米国を選んだ方がいいと思うのも当然かもしれない。

ならば、なぜ大坂一家は、なおみをいまだに日本登録にしているのか。

13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時だった。日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏(40)は、日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていた。

予選1回戦で敗れたが、1人の初めて見る選手に、目がくぎ付けになった。

それが15歳の大坂だった。

「すごい才能だと思った」。

すぐに当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂の存在を報告。

それ以来、日本に来たときは、味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきた。

吉川氏も代表コーチとして大会に派遣され、大坂が出場していれば必ずコンタクトを取り続けた。

大坂は米国テニス協会のジュニア大会に多く出場しているが、目立った成績は残していない。

米国では完全に埋もれた存在だった。

大坂一家は米国協会に支援を申し込んだが、大して取り合ってもらえなかったという。

しかし大坂が16年全豪で予選を勝ち上がり本戦で3回戦に進むと、米国協会は強烈なアプローチを仕掛けてきた。

日米争奪戦の勃発だった。

米国は女子代表監督が自ら乗り出し、多額の支援を約束したと伝えられる。

だが大坂の父フランソワさんは、無名の時から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したという。

だからこそ、いまでも大坂は日本で登録し続けるのだ。

吉川氏は「僕は代表コーチとして手助けしただけ。コーチはバイン氏」と遠慮する。

確かに、あくまで大坂の専属コーチはバイン氏だ。

彼の手腕が卓越した大坂の才能を開花させたことは間違いない。

母環(たまき)さんが、日本の文化や料理を娘に伝え続けなければ、大坂自身が「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識することもなかっただろう。

ただ、吉川氏がいなければ、大坂が「日本人」として4大大会の優勝杯を掲げることがなかったのも事実だろう。

【吉松忠弘】

◆吉川真司(よしかわ・まさし)1978年(昭53)1月31日、京都市生まれ。父の影響で12歳でテニスを始める。亜大時代の00年全日本学生シングルスでベスト4。卒業後、実業団でプレー。07年に引退しコーチに転向し、12年から日本テニス協会の女子ナショナルコーチに就任した。協会公認S級エリートコーチ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA