60年前、謎の遭難死

自然現象が原因か=60年前、謎の遭難死-ロシア

2019/02/02(土)
【モスクワ時事】ロシア最高検察庁は1日、旧ソ連時代の1959年2月にウラル山脈で起きた謎の集団遭難死について、雪崩や暴風など自然現象が原因という見方が強まったと最新の見解を明らかにした。

登山グループの若い男女9人が不可解な死を遂げ「ディアトロフ峠事件」と呼ばれ、出版物や映像作品で今も謎解きが続いている。

最高検報道官は「遺族やメディアが検察に真実究明を求めている」と述べ、地元検察が昨年9月から再捜査を開始したと説明。

死亡原因について75件の可能性の中から3件まで絞り込まれ、雪崩や暴風など「いずれも自然現象に関連するものだ」と語った。

犯罪の可能性については、証拠がなく「完全に排除されている」と指摘。

3月に検事らが現場を訪問し、その後に最終的な鑑識作業を行って原因を特定する。

(2019/02/02-07:53)
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「ディアトロフ峠事件」

捜索と発見

一行が登山を終えてヴィジャイに戻り次第、ディアトロフが速やかに彼のスポーツクラブ宛に電報を送ることになっており、おそらく2月12日までには電報が送られてくるだろうと予想されていた。

しかし事前にディアトロフがユーディンに、もう少し遠征が長引くかもしれないと話していたこともあり、2月12日が過ぎて連絡がなかったにも関わらず、誰もこのことに特に反応しなかった。

こうした遠征では数日の遅れは付き物だったためである。

2月20日になってようやく、一行の親族たちの要請で、ウラル科学技術学校はボランティアの学生や教師からなる最初の救助隊を送った。

その後軍と警察が腰を上げ、救助活動はヘリコプターや航空機を投入した大規模なものとなった。

2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山で、酷く損傷して放棄されたテントを発見した。

テントを発見した学生、ミハイル・シャラヴィンは「テントは半分に引き裂かれ、雪に覆われていました。

中には誰もおらず、荷物はテントに置き去りにされていました」と述べている。
調べによると、テントは内側から切り裂かれていた。

8つないし9つの靴下の足跡、片足だけ靴を履いた足跡、そして裸足の足跡が、近くの森(谷の反対側、1.5キロメートル北東)に向かって続いていたが、500メートル進んだところで、雪に覆われて見えなくなった。

捜索隊は森のはずれの大きなヒマラヤスギの下で、下着姿で靴を履いていないユーリー・クリヴォニシェンコと、ユーリー・ニコラエヴィチの遺体、そして焚き火の跡を発見した。

木の枝が5メートルの高さまで折られていたことは、彼らのうちの1人が木の上に登って、何か(おそらくキャンプ)を探していたことを示すものだった。

捜索隊はさらにヒマラヤスギとキャンプの間で、ディアトロフ、ジナイダ・コルモゴロワ、そしてルステム・スロボディンの3人の遺体を発見した。

遺体はそれぞれ木から300メートル、480メートル、630メートル離れた位置で別々に見つかり、その姿勢は彼らがテントに戻ろうとしていた状態で亡くなったことを示唆していた。

残り4人の遺体を探すのにはさらに2ヶ月を要した。

残りの遺体は、ヒマラヤスギの木からさらに森に75メートル分け入った先にある渓谷の中で、4メートルの深さの雪の下から発見された。

4人は他の遺体よりまともな服装をしており、これはどうやら最初に亡くなったメンバーが、自分たちの服を残りの者たちに譲ったらしいことを示していた。

ゾロタリョフはドゥビニナの人工毛皮のコートと帽子を被っており、同時にドゥビニナの足にはクリヴォニシェンコのウールのズボンの切れ端が巻かれていた。

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