「試罪法」に用いるこの豆は

「試罪法」に用いるこの豆は

時代は1840年頃。イギリスの宣教師ウィリアム・ダニエルはカラバル地方のエフィクという地域を訪れたときに、エフィクの住民があることにこのカラバル豆を使用していることを発見・記録しています。

その報告は1846年、エジンバラの民族協会で発表されました。

この宣教師が報告したところによると、エフィクの住民はカラバル豆を「試罪法」…….つまり、何らかの罪を犯したとされる被疑者に対してこのカラバル豆を飲ませ、その真相を試す、ということをしているとされています。

具体的には、冒頭に書いたような権力を持った人物が8粒程(数字は資料によってまちまちなのですが)のカラバル豆をそのまま、または煎じる、または抽出液を被疑者に飲ませ、そしてしばらく歩かせます。

この時、もし被疑者が吐き出したのならばその者は「無罪」であり、そのまま死に至れば「有罪」である……もし、後者の時には「神からの裁きを受けた」、となります。

この様な「試罪法」に用いたこの豆は、現地の人々からは「Esere(実際には「e」には両方とも上に「’」が入ります)」、「エゼレ」と呼んでおり、また「裁きの豆」として重宝されていた様です。

もっとも、この「裁きの豆」は裁判のほかにもより直接的に死に至らしめるために用いられたようでして、カラバルの王が死んだ際には何百人もの男女・子供を斬首、生きたまま、またはエゼレを飲ませて王の墓に埋めたという話もあります。

また、魔女の預言の為に抽出液が用いられたという記録もあるようです。

尚、この地域では現代(「現在」は知りませんが)においてもこの「裁きの豆」は使われているようでして、1956年にエフィクを訪れた人類学者ドナルド・シモンズは上記の様な神判がまだ行われていることを記録しています。

更には、無罪が確定したものがまだ苦しむ場合には女性器を洗った水に糞を混合したものを与えた、という記録を残しています。

その根拠はよく分かりませんが………

さて、この「裁きの豆」であるカラバル豆。

これはダニエルによって本国に送られて調べられた結果、1864年にはすでに有毒成分が単離されて「フィゾスチグミン(physostigmine)」と命名されました。

構造の解明には更に時間を要し、平面構造は1925年に。(-)-フィゾスチグミン(「(-)」は分子の向き。

その24参照)の絶対構造が確定したのは1969年です。そして、カラバルの人達が「エゼレ」と呼んでいたことからフィゾスチグミンは「エゼリン(eserine)」とも呼ばれています。

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