日本人が養殖真珠を発明したから

日本人が養殖真珠を発明したからですね。

養殖真珠の歴史も古く、11世紀の中国などで既に行われているが量産することは難しかった。

日本では1893年に箕作佳吉の指導をうけた御木本幸吉が英虞湾神明浦でアコヤガイの半円真珠の養殖に成功し、1905年、英虞湾の多徳島で真円真珠の養殖に成功している。

養殖真珠の発明者は、日本では西川藤吉・見瀬辰平の2人があげられる。

1907年見瀬辰平が、はじめて真円真珠に関し「介類の外套膜内に真珠被着用核を挿入する針」として特許権を獲得した。

続けて西川藤吉が真円真珠養殖に関し真珠形成法の特許を出願する。

この一部が前述の見瀬辰平の特許権に抵触するとして紛争が起こる。

調停の結果、西川籐吉の名義で登録し特許は共有とすることとなった。

この養殖真珠の特許技術は海外では Mise-Nishikawa Methodとして知られている。

また1916年および1917年に西川藤吉の特許が4件登録された。

西川藤吉は既に亡くなっていたため、息子の西川真吉が権利を受け継いだ。

現在の真珠養殖の技術は西川藤吉のこれらの技術に負うところが多い。

(西川藤吉は御木本幸吉の次女の夫である)。

その後、様々な技術の改良を経て真珠養殖は広まり、英虞湾、宇和海、長崎県対馬などで養殖が行われた。

後にイギリスで養殖真珠が偽物だという吹聴がありパリで真珠裁判が行われたが、1924年5月24日、天然と養殖には全く違いが無かったので全面勝訴した。

ムスリムの商人というのは、ずいぶん昔から商人をやっているわけだが、それこそ「船乗りシンドバッド」の時代からですね。

スリランカに行くと、その時代にスリランカにやって来て住み着いたムスリムが今でもいて、あの国の宝石産業を牛耳っているんだが、宝石をどっかから探してきて世界のマーケットに乗せるという商売においては、ムスリムの商人が昔から活躍していたわけです。

で、中でも真珠の取引においては、バーレーンの真珠広場が取引の中心であった、というわけです。

もともと真珠というのは、南洋だったり、地中海だったり、アラビア海だったり、まぁ、海で採れるわけだ。

それも、北極海とか南氷洋とか、あまり寒いところでは採れませんね。

熱帯から亜熱帯。それが、ヨーロッパの王様や貴族のために、延々と運ばれて付加価値がどんどん嵩んで高くなって行く。

元は海から拾って来たモノなのにね。

で、有史以来、延々と真珠を運んでメシを食っていたムスリム商人なんだが、日本人が人工的に、安く大量に真珠を作るようになってしまったもんで失職、仕方ないので、石油を商売にしはじめた、というのが、20世紀の石油文明の始まりです。

なので、言ってみれば「20世紀の石油文明を創り上げたのは日本人」という事も出来るわけですね。
大袈裟だが

で、その象徴でもある「真珠広場」で、今でもバーレーンの親米政権を倒そうと、民衆が集まっているわけだ。

まぁ、未来の歴史の教科書には、20世紀の石油文明の終結を象徴する中東動乱とか書かれるのかも知れない。

つうか、アメリカにしても、無理して石油を押さえなくても代換エネルギーの目処が立ったとか、イスラエルの面倒見るのがイヤになったとか、色々と理由はあるんだろうが、コレもまた、未来の教科書には「日本が開発したハイブリッド技術によって石油文明が終焉」とか書かれるのか

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