呂宋壺

呂宋壺

正式には呂宋葉茶(はちゃ)壺のこと。

抹茶は挽(ひ)いて粉末にするまで葉茶を陶製の壺に入れておくが、この茶壺としてとくに南中国製の黒褐釉(ゆう)陶が好まれ珍重された。

中国から呂宋(現フィリピン、ルソン島)に輸出されてあったものを日本の商船がこぞって輸入したため、この名が残ったと考えられる。

製品の窯址(ようし)の一つは広東(カントン)省仏山市近郊の石湾(せきわん)に発見され、「蓮華(れんげ)王」印の呂宋壺のほか、政和(1111~18)年号銘の破片が出土し、12世紀にはすでに焼造されていたことが判明している。

日本では室町中期の東山時代には「松島」「三日月」などの銘をもつ呂宋壺が名物として不動の価値をもって重宝とされ、その後桃山時代にかけて大流行した。
作風から、真壺(まつぼ)、底上げ、清香(せいこう)などに分類された。[矢部良明]

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〘名〙 南北朝時代から安土桃山時代にかけて南方諸島から渡来した陶製の茶壺。

当時の貿易船はルソン経由で日本を訪れたため、ルソン製の壺だと考えられていたが、中国南部の安南(ベトナム)付近の産と推定される。

文祿三年(一五九四)堺の呂宋助左衛門がルソン島から持ち帰って以来、有名になったもの。

真壺。蓮華王。

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【茶壺】より

…しかし,今ではスズの茶缶の出現もあり,さらに製茶の小売店ですでに粉末にした緑茶を缶に入れて販売しているから,茶壺は単なる〈口切の茶事〉だけに必要な装飾的なものになった。

茶壺の中でもフィリピン渡来で〈呂宋(ルソン)壺〉と呼ばれるものが珍重されてきたが,フィリピンの焼物とするのは誤りである。

14世紀から15世紀に中国の広東省,福建省一帯などで焼成された壺を〈真壺(まつぼ)〉と呼んで,16世紀に茶の湯が成立すると,名壺には〈松島〉〈三日月〉などの銘も付けられて尊重された。…

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【納屋助左衛門】より

…のち豪奢が秀吉の怒りにふれ没落したが,1607年(慶長12)柬埔寨国(カンボジア)よりの来書に,日本船主助左衛門が来航し,国王の信任を得て,商人の頭目に任じられたとあり,これを納屋助左衛門に比定する説もある。

その事跡から呂宋(ルソン)助左衛門の異名をもつ。【朝尾 直弘】。…

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ルソン壺ってどんなツボ?

頑張る時に使う言葉『一所懸命』

この言葉は、戦国時代を含む日本の中世で、武士たちが命懸けで手柄を立て、主君から土地を貰ったことからできました。

つまりかつての武士は、ひとつの土地(一所)をもらうために命を懸けて(懸命)戦い、ようやく小さな土地(所領)を貰っていたワケですよ。

しかし!

なんと1つの壺(つぼ)で、1国に値する価値があるといわれていたものがあります。

それがルソン壺(漢字で書くと呂宋壺)

いったいどのような壺だったか?

千利休のお気に入り

まずルソンとは、現在のフィリピン最大の島で、戦国時代にはスペインの統治下でした。

そしてルソン壺は、このルソン島民が日常的に使っていた壺で、普通にたくさんあって、大きさは米が約二升ほど入るほど。

ある日、この壺を当時ルソンと貿易をしていた納屋助左衛門(なや すけざえもん)という堺の商人が手に入れます。

そして豊臣秀吉に様々な贈り物を献上ついでに披露した時、千利休が『珍重なるルソンの壺』と、いたく気に入り皆を驚かせました。

当時の利休は天下人・秀吉の茶頭として、政治にも発言力を強めていたのですね。

そしてこの利休のオメガネに叶うものは名物とされ、高価な値が付いたのです。

ルソン壺もそのひとつ。

諸大名はルソン壺を先を争って買い求め、価格が上昇、秀吉も3つ買い求めたとか。

ここまで売れまくるとウハウハの納屋助左衛門。

ルソン壺で巨万の富を得る事に成功しましたが…

ごめん、実は便器だったかも?

しかしその後、あまりにも贅沢ぶりが目立ったため、助左衛門は石田三成たちに睨まれ財産没収となる寸前で、ルソンに逃げ延びる事に。

また別の説では、ルソン壺が実は島民たちの便器だった事が発覚し、秀吉と諸大名の怒りをかったため逃げたとも。

その後、ルソン壺はそのほとんどが叩き壊されたそうですが、ひとつだけ堺市の大安寺に残っています。

これは助左衛門が罰せられそうになった時、大安寺に寄贈したもので、以来この壺は大安寺の寺宝として、400年以上に渡り受け継がれているという事です。

世界各地で昆虫が減少

世界各地で昆虫が減少、害虫は増加傾向に=研究

2019/02/12(火)

世界中に生息する昆虫の40%が「劇的な減少率」で個体数を減らしていることが、最新の調査で明らかになった。

それによると、ハチやアリ、カブトムシなどは、ほ乳類や鳥類、は虫類と比べて8倍の速さで減少している。

その一方で、イエバエやゴキブリといった一部の種は数を増やしているという。

昆虫の全般的な減少は、集中的な農業や殺虫剤、気候変動などが理由とされる。

昆虫は地球上に棲む生物の大半を占めており、人類を含む動植物に重要な恩恵をもたらしている。

鳥やコウモリ、小型哺乳類には食べ物を与え、世界の穀物の75%の受粉を助け、土を作り、害虫の数を抑制する。

近年の研究では、ハチなど特定の種が、特に先進国で大きく個体数を減らしていることが明らかになっていた。

しかし、「バイオロジカル・コンサヴェーション」に掲載された新研究では、過去13年間に発表された73件の既存の調査結果を網羅し、そこから全般的な見解を導き出した。

それによると、昆虫の減少は世界中ほぼ全ての地域で起きており、向こう数十年で全体の40%が絶滅する恐れがある。

現在、昆虫の3分の1が絶滅危惧種だという。

この研究を主導した豪シドニー大学のフランシスコ・サンチェス=バヨ博士はBBCの取材で、

「農業や都市化、森林伐採などで生息地を奪われたことが、昆虫が減少している主な要因だ」と説明した。

「その次に、世界中の農業で使われる肥料や殺虫剤の影響や化学物質による汚染が挙げられる。

3つ目は生物学的要因、つまり侵略種や病原菌によるもの。

4つ目には、特に熱帯地域で大きな影響を与えている気候変動がある」

研究では、近年発表されたドイツで急激に減っている飛翔性昆虫の動向や、地球温暖化によってプエルトリコの熱帯雨林の昆虫が減っている事例なども取り上げられている。

他の専門家も、今回の研究結果は「非常に残念だ」と話している。

イギリスの昆虫愛護団体「バグライフ」のマット・シャードロウ氏は「これはハチだけの問題でも、あるいは受粉や我々の食糧だけの問題でもない。

例えばふんを土に戻してくれるフンコロガシや、川や池で生まれるトンボといった昆虫も減少している」と指摘する。

「地球の生態系が崩壊していること、この悲惨な流れを食い止め逆転させるために世界規模で集中的な努力が必要になっていることが、ますます明らかになった。

昆虫の緩慢な絶滅を引き続き座視するなど、合理的ではない」

■害虫は増加傾向

研究では、昆虫の減少が食物連鎖の上流に与える影響についても懸念を示している。

多くの鳥類やは虫類、魚類にとって昆虫は主な食料であり、昆虫の減少は結果的に、こうした生物の絶滅にもつながる可能性がある。

一方、人間にとって特に大事な昆虫が危険にさらされている中、一部の昆虫は環境の変化に適応し、数を増やすだろうとの指摘もある。

最新の豪研究には関わっていない英サセックス大学のデイヴ・グールソン教授は、「繁殖サイクルの速い害虫は、温暖化や、繁殖速度が遅い外敵の絶滅によって、数を増やすだろう」と話した。

「我々が将来、特定種類の害虫増大に悩まされる一方で、ハチやアブ、チョウといった人間にとって有用な素晴らしい昆虫、動物のふんを処理してくれるフンコロガシといった益虫を全て失ってしまう可能性は十分にある」

グールソン教授によると、強じんで適応力が高く雑食のイエバエやゴキブリといった昆虫が、人工の環境に馴染みやすく、殺虫剤への抵抗力を付けていると述べた。

その上で、今回の研究は危険信号を発しているものの、殺虫剤を使わないこと、有機的な食品を選ぶこと、昆虫にやさしい庭造りをするなど、我々にできる対処法はあるとしている。

また、昆虫の減少に関する研究の99%は欧州と北米のもので、アフリカや南米の資料はほとんどないことから、さらなる調査が必要だという。

究極的には大多数の昆虫が絶滅しても他の種に取って代わられるが、それには長い長い時間がかかるという。

「過去に起きた大絶滅を見てみると、その後には大規模な適応放散(一つの祖先からさまざまな種が生まれること)が発生する。少数の種が新たな環境に適応し、絶滅によって空いた席を埋め、新しい種に進化する」と、グールソン教授は説明する。

「つまり100万年たてば、20世紀と21世紀に絶滅した生物の代わりとなる多様な新生物が生まれていることは間違いない」

「我々の子供の世代には、何の慰めにもならないが」

(英語記事 Insect decline may see ‘plague of pests’)

青緑色のゴキブリが西表島にいる!

青緑色のゴキブリが西表島にいる!「太古の生物」という定説くつがえす

2019/02/12(火)

たとえ核戦争で全人類が滅亡しても、生き残ると言われるゴキブリは、洋の東西を問わず嫌われ者。

ところが、石垣島や西表島には、「日本で最も美しい」と言われる瑠璃(るり)色のゴキブリがいるのだ!

筑波大学山岳科学センター菅平高原実験所の松田龍一郎教授と藤田麻里さんらを含む世界7カ国17の研究機関のグループは、地球上に生息する66種類の昆虫の約2400の遺伝子解析を実施。

進化の歴史について、系統樹を作成した。

このなかでゴキブリについては、約2億6000万年前にゴキブリ目とカマキリ目が枝分かれし、2億年前に現代のゴキブリの先祖が出現したことが判明。

その後、中生代になって多様化し、1億5000万年前から6600万年前に主要なゴキブリの仲間が出そろったことがわかり、従来考えられていた3億年前の太古の昆虫という定説が覆された!

現在生きているゴキブリの大部分が、体内に住みついている細菌「ブラッタバクテリウム」を利用して、老廃物を必須アミノ酸やビタミンなどといった生命活動に必要な物質に変えてエネルギー源としている。

これが脅威の生命力の秘密だが、この共生関係が出現したのは過去一度だけ。

ホラアナゴキブリとシロアリ類に進化する過程では、この共生関係が失われたことも明らかになった。

驚いたことに日本には50種類近いゴキブリがいると考えられており、最も馴染み深いのは家のなかに潜むクロゴキブリやチャバネゴキブリといった憎いヤツラだが、原始的な姿を保っている「ムカシゴキブリ」の仲間には、亜熱帯林に生息する希少種ルリゴキブリがいる。

日本で最も美しいゴキブリと言われており、生態は謎に満ちている。

謎多き「箱館焼」と「蝦夷試制」

謎多き「箱館焼」と「蝦夷試制」 ひもとく 北海道の陶磁器 …石川県 九谷焼美術館

2019/02/11(月)

県九谷焼美術館で特別展

北前船を通じて北陸と縁が深い北海道の陶磁器に焦点を当てる特別展「ナゾの陶磁器 箱館焼と蝦夷試制(えぞしせい)」が9日、 加賀市大聖寺地方町の県九谷焼美術館で始まった。

箱館焼、蝦夷試制ともに不明な点が多く、伝世品の数も各100点程度と限られる。

特別展は本州初という規模で作品を紹介し、九谷焼との関連も指摘している。4月7日まで。

特別展は、北前船の日本遺産認定を記念して昨秋開いた「東北・北海道に渡った九谷焼」展に続く第二弾。

北海道にある七十種以上の焼き物の中から、最も早く作られた箱館焼と九谷焼の技術移入が考えられる蝦夷試制に着目した。

箱館焼四十四点、蝦夷試制五十三点を含む計百四十七点が並ぶ。

箱館焼は安政-文久年間の一八六〇年前後に函館で焼かれた陶磁器で、伝世品のほとんどが染め付けの磁器という。

函館山や海に浮かぶ帆掛け舟の風景など、当地らしい図柄を取り入れた茶入れやわんが並ぶ。

蝦夷試制は九谷焼によく似た色絵磁器。

明治三十年代に石川県で制作されて札幌で販売されたなど、いつどこで、誰が作ったかは諸説あって分からないことが多い。

「試制」は「試製」とも書き、試しに作ったという意味があるとみられる。

アイヌの熊祭りの様子が詳細に描かれた茶器セットなどが並ぶ。

蝦夷試制と九谷焼の関連は以前から指摘されていたが、特別展に備えた調査で、
大聖寺出身の九谷焼陶工が制作に携わった可能性を示す八九(明治二十二)年の北海道新聞の記事が見つかった。

これを含め、展示では、蝦夷試制がどういうものなのか、六つの可能性を示した。

中越康介学芸員は

「北海道の陶磁器は分かっていないことが非常に多い。今回の問題提起で関心を持つ人が増え、研究が発展する機会になれば」と話している。

午前九時~午後五時。月曜休館(祝日の場合は開館)。

磁器は江戸を通して肥前がほぼ独占だったが、幕末になり各藩が作り始めたんだよ。

そして明治になって武士の身分が無くなって食べるために色々産業を興した。

大概がすぐ消えた。

窯業もその一つ長州藩も明治になって萩城が取り壊され、天守閣跡の勾配を使って窯が開かれた。すぐ潰れたそうだけど。

今でも天守閣跡のしたにレンガブロックにガラス質のものが張り付いたものが転がってるが、その窯の名残。

中国経済、2018年はゼロ成長だった可能性も

中国経済、2018年はゼロ成長だった可能性も・・・景気悪化で労働者の賃金未払い抗議デモが急増

2019/02/10(日)

経済成長が28年ぶりの低水準となった中国では、各地で労働者による賃金未払いを抗議するデモが増えている。

景気鈍化により、労働者の生活が一段と厳しくなった。米紙ニューヨーク・タイムズが6日伝えた。

同報道によると、広東省深セン市にある電子製品メーカーの従業員が1月に抗議デモを行った。

ある従業員は、工場側は総額3000ドル(約33万円)の賃金を支給していないと主張し、食糧などを買えず生活苦になっていると訴えた。

報道は、個人消費の低迷や米中貿易摩擦の未解決で、中国の景気悪化が一段と進んでいるとの見方を示した。

これを背景に、中国各地で、労働者やタクシー運転手などが賃金未払い、待遇改善を求めるデモを展開した。

中には給料を支払わなければ飛び降り自殺すると訴える建築労働者もいた。

ニューヨーク・タイムズは香港に本部を構える「中国労工通訊(China Labour Bulletin)」の統計を引用した。

統計によれば、昨年中国国内では少なくとも、約1700件の労使紛争が起きた。

前年の2017年と比べて500件増加した。中国当局の厳しい報道規制により、多くの抗議活動は報道されていないという。

中国当局は、社会不安の広がりが政権崩壊につながるとみて、抗議デモ参加者への締め付けを強化している。

中国労工通訊によれば、当局は昨年8月以降、約150人以上を拘束した。

抗議デモに参加したタクシー運転手や教師、建築労働者、学生などだ。

1月20日、中国当局は深セン市で、「公共秩序を乱した」として労働者権利活動家5人を逮捕した。

中国労工通訊のジェフリー・クロソール(Geoffrey Crothall)氏は、中国当局は「大規模な抗議活動が起きないよう、さらに厳しい措置を講じるだろう」と述べた。

米中国語メディア「新唐人」1月23日付によると、中国労工通訊の統計では昨年10月1日以降、製造業が多く集まる深セン市だけで、労働問題をめぐる労使紛争は少なくとも17件発生した。

いっぽう、在米中国経済学者の程暁農氏は6日、大紀元中国語版に寄稿し、中国経済をけん引する「個人消費、投資、輸出」が不調であっため、2018年中国経済の失速は「持続不可能な繁栄の予測できた結果」だったと強調した。

昨年12月、中国人民大学の向松祚教授は講演で、「ある重要な研究機関の統計によれば」、2018年の中国経済成長率は実際1.67%で、他の試算方法ではマイナスの結果になっていると述べた。

程暁農氏はこれについて、「1.67%とマイナスの数値を平均にしたら、ゼロ成長だった可能性もある」との見方を示した。

(翻訳編集・張哲)

破局寸前で囁かれる

小室圭 行方不明の母は宗教施設に? 破局寸前で囁かれる「負の一族」の悲劇

2019/02/09(土)

5月1日の新天皇即位に控え、皇室にとって重要な一年となる2019年。国を挙げての祝賀ムードに包まれるなか、唯一の懸念材料が秋篠宮眞子さまの結婚問題だ。なんと、お相手の小室圭(27)と完全破局秒読みだというのだ。

原因は母・佳代(53)さん。元婚約者との間に借金を抱えていただけでない。

強く囁かれている「いわくつきの一族」との声も影響しているというから驚くほかない。

「父親が亡くなったのは、圭さんが東京・国立市にある音楽大学の付属小学校に通っていた10歳のとき。父は明治大学卒業後、横浜市役所の住宅事業課で働いていたのですが、体調を崩してしまい、役所を休みがちになり、2002年3月に自ら命を絶ったのです。まだ38歳の若さでした」(社会部記者)

しかも、親族で自殺しているのは父親だけではないという。

「祖父も息子を失ったショックにより、約1週間後、自ら死を選んだ。圭さんは父親と祖父を早くに自殺で亡くし、祖母も病死していますから、父方の親族とはほとんど交流がなくなったでしょうね」(同前)

一家の大黒柱を失った小室家は、だんだんと生活が苦しくなっていったようだ。

「佳代さんは夫が自殺した直後、すぐに彫金師のAさんと交際し、自宅マンションにて住まわせていた時期もあったといいます。その後、交際した外資系商社マンのBさんに400万円以上の援助を受けていました。Bさんとは婚約もしており、佳代さんは『圭の父親代わりになってください』とまで言っていた、と。しかし、その後、婚約解消となり、Bさんが返金を求めると、佳代さんは『贈与を受けたものだ』と主張したのです」(同前)

現在、圭さんは代理人弁護人を立て、「解決したものと考えています」という文書をメディア各社に送っている。

「その1枚の文書により、宮内庁は激怒。結婚の芽は見事に消えた」

宮内庁関係者からはこんなコメントが漏れ伝えられている。渦中の佳代さんは現在、行方不明だ。

「宗教施設に匿われている」とも言われているが、これは確定情報ではない。ともあれ表に出て説明をしないと事態は好転しないだろう。

(浅野良仁)

竹田恒和JOC会長の日本を牛耳る「巨大人脈」がやばい!

【五輪】

逮捕説も… 六本木のフィクサーから”親分”まで!? 竹田恒和JOC会長の日本を牛耳る「巨大人脈」がやばい!

2019/02/09(土)

東京五輪・パラリンピック招致をめぐり、贈賄関与の疑いでフランス司法当局から捜査を受けている竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長(71)。

政界関係者との太いパイプを持つ一方で「巨大人脈」もあるという。

「竹田さんはスポーツ界における”黒い大物”と繋がっていますよ。例えば、裏社会とも関係が深く”六本木の政界フィクサー”と称されるX氏。彼は自身が手掛ける専門競技を五輪に採用させるべく、長年竹田さんとはウィンウィンな関係を続けてきた。結果、ルールや流派の面は意にそぐわなかったものの競技は採用されました」(週刊誌記者)

さらに昨年の日本を騒然とさせた日大の田中英寿理事長との関係も取り沙汰されている。

「田中は五輪にない相撲出身ながらJOCの要職に就き、東京五輪招致に向けて暗躍していました。しかし、住吉会や山口組のトップとの交際が明るみになり、昨年辞職しています。竹田さんは、そんな強面の田中と10年以上関係を続けてきた。一説によると、カネに困った竹田さんが財力のある田中に頼り、何百万円という法外な講演料を与えて飼い慣らしたとも言われています」(同上)

竹田会長には更に危険な繋がりもあるという。

「田中に連なる黒人脈として、某組織の”親分”もいます。竹田氏は銀座で飲み明かすほど親密な仲です。竹田氏はとにかく脇が甘く、誰彼構わず写真に収まってしまう人物ですよ。インターネット上には竹田氏と”大物”との写真が多数公開されています」(暴力団関係者)

いったい、今後捜査はどのように進むのか。

「ある日、急に身柄を取られる可能性もあると聞いている。特に、ヨーロッパ圏に渡航したら最後、帰国できず、身柄拘束に持ち込まれるはず。そうなる前に、会長を辞任するべきでしょ」(捜査関係者)

本当に大丈夫か、東京五輪。

(狩野玖太)
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皇籍外れても政財界の人脈は残ってる

数百万程度何とでもなる資産はあるし信頼できる顔?ぎとしても人は絶えず寄ってくる

逆に言えばこの程度の人に飲み友達以上のお願いをする必要が無い

五輪の競技選考に関しても話が漏れて信頼を失う方が公平に選考するより結果的に損になるからやらないよ

もし皇族の名誉を傷つけることやったら宮家筋やその取り巻きに人脈潰される

人脈と信頼だけで永劫栄える家だから調べても間違いなく白だよ

函館の棒二森屋閉店

函館の棒二森屋閉店 82年の歴史に幕、惜しむ買い物客

2019/02/01(金)

【函館】JR函館駅前の百貨店「棒二森屋」が31日、閉店し、開業から82年、前身を含めると150年の歴史に幕を下ろした。

営業終了時には、最後を見届けようと約千人の買い物客たちが店舗前を埋め尽くし、「函館の顔」として親しまれた老舗との別れを惜しんだ。

札幌以外の道内百貨店は丸井今井函館店、藤丸(帯広)の2店のみとなる。

棒二森屋は午前10時の開店前から多くの市民が詰めかけ、店内は終始混雑した。

午後6時の営業終了後、同6時半から店内でセレモニーを行い、残った客を前に小賀(おが)雅彦店長が「このご恩は決して忘れません」とあいさつ。

正面玄関のシャッターが下りる中、従業員が頭を下げると、「ありがとう」の声とともに拍手が沸き起こった。

函館市大縄町の無職吉岡作平さん(79)は「幼稚園のころ、買い物に連れてきてくれた叔母にねだり、道ばたで泣いて困らせたこともあった。

閉店なんて涙が出る」と話していた。

棒二森屋は、1869年(明治2年)開店の「金森森屋洋物店」と、89年(同22年)開店の「棒二荻野呉服店」が1936年(昭和11年)に合併し、翌37年に開業した。

郊外型大型店などとの競争激化で、昨年の売上高は最盛期(90年代前半)の約210億円の2割足らずの約41億円に落ち込んでいた。

跡地は、同店を傘下に収めるイオン(千葉市)側が、マンションやホテルを中心とした再開発計画を提案し、地元地権者らと協議中。

アネックス館はいったん閉店後、2月8日からテナントビル「函館駅前ビル」として3年程度営業する。(合津和之)

堀文子

堀文子

1918年7月2日 – 2019年2月5日)は、東京市麹町区平河町(現・東京都千代田区麹町)生まれの日本画家。

来歴

永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業。府立第五高等女学校時代に自宅近くで二・二六事件に遭遇した。

女子美術専門学校在学中の1938年に第2回新美術人協会展入選。

1940年に女子美術専門学校を卒業し新美術人協会会員。『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画や装幀を描き生計を立てる。

29歳の時に外交官の箕輪三郎と結婚するも、43歳のときに夫と死別。

1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出る。

旅の中でアンフォルメル、シュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰する。

1967年に神奈川県大磯に転居。

1974年創画会の結成に参画。

1974年に多摩美術大学日本画科教授に就任。

その後、多摩美術大学客員教授として日本画の指導を行う。

1999年に多摩美術大学客員教授を退任。

1981年に軽井沢にアトリエを構える。

1987年にイタリアアレッツォにアトリエを構える。

1992年にアレッツオ市で堀文子個展を開催。

1995年にアマゾン川、マヤ遺跡・インカ遺跡へスケッチ旅行。

1999年に創画会を退会。

2011年に女子美術大学より名誉博士の称号を得る。

2000年、82歳の時に幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を踏破(「アーティストたちの挑戦 ヒマラヤ 高き峰をもとめて 日本画家 堀文子」(NHK収録/放送、2000年)。

2001年に解離性動脈瘤で倒れて以降、長期間の取材旅行に出かけられなくなったことから微生物に着目し、海中に生きる命をモチーフとする作品を発表。

これらの作品は画文集や個展で発表された。

自然の中に存在する命や花鳥をモチーフとする作品を多く制作し「花の画家」と呼ばれた。

専門の日本画の他、装幀、随筆でも多くの作品を発表した。

神奈川県大磯町に在住していた(2012年時点)。

2019年2月5日、心不全のため死去。100歳没。

ルノーの資産乱用にある可能性

ベルサイユ結婚式、ルノーの資産乱用にある可能性 仏紙報道

2019/02/07(木)

ゴーン前会長のベルサイユ結婚式、ルノーの資産乱用か

仏紙フィガロ(電子版)は6日、日産自動車やルノーの会長を務めていたカルロス・ゴーン被告(64)が2016年にパリ郊外のベルサイユ宮殿で開いた結婚式をめぐり、ゴーン被告による会場使用がルノーの会社資産の乱用に当たる可能性があると報じた。

同紙によると、ゴーン被告は16年10月、ベルサイユ宮殿敷地内の城館「グラン・トリアノン」を借りてキャロル夫人との結婚式を挙げた。

式に先立ち、ルノーは同年6月、企業が文化芸術を支援する「メセナ」契約をベルサイユ宮殿と結んだ。

ルノーが宮殿の改修費用の一部を負担する代わりに、城館を借りられる取り決めがあったという。

ルノーは社内調査でこうした経緯を把握。

結婚式は「完全な私的行事で、メセナと無関係」(関係者)として、会社の資産乱用に当たる可能性があり、仏検察に情報提供することを検討しているという。

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結婚式費用自体は自腹

ただし結婚式を彩るための建物修繕費用がルノーの社会貢献費から出されたため
自分の結婚式が なかったらその金をルノーから出費させたのか?

というのが今回の疑惑

金額はゴーン個人で70億も自腹で出すわけないとかで