山手線で“スリ”→捜査員発見

山手線で“スリ”→捜査員発見 約80件の同様被害も

2017/07/24(月)

JR山手線の車内で寝ている男性のポケットから財布を盗み取ったとして、68歳の男が逮捕されました。

鈴木茂雄容疑者は22日午前5時50分ごろ、山手線の車内で酔って寝ていた会社員の男性(52)のズボンの後ろのポケットから現金約1万7000円などが入った財布を抜き取り、盗んだ疑いが持たれています。

警視庁によりますと、車内が空いているにもかかわらず、寝ている人の近くで不審な動きをしている鈴木容疑者を警戒中の捜査員が発見して犯行を確認した後、ホームで取り押さえたということです。

取り調べに対して、鈴木容疑者は「きょうやったことは言いたくありません」と黙秘しています。

2月以降、山手線では同様の被害が80件近く相次いでいて、警視庁は余罪があるとみて捜査しています。

スリで警視庁巡査長を逮捕

2011/05/14(土)

スリで警視庁巡査長を逮捕 女性の財布から千円札4枚抜き取る

電車内で女性の財布から4千円を抜き取ったとして、警視庁中野署は14日、
窃盗の疑いで同庁第9機動隊所属の巡査長、北原将人容疑者(26)=東京都立川市羽衣町=を逮捕した。

同庁によると、「盗んだことは間違いありません」と容疑を認めている。

逮捕容疑は、同日午前6時5分ごろ、東京メトロ東西線の車内で、都内に住む女性会社員(19)の隣に座り、ショルダーバッグの財布から千円札4枚を抜き取ったとしている。

警視庁によると、女性は帰宅途中でうとうとしていたが、バッグを触られているのに気づき目を覚ました。

北原容疑者から「財布が出ています」と声をかけてきたが、ポケットに千円札の束が見えたため、一緒に中野駅で降りて、駅員に助けを求めたという。

北原容疑者は勤務前に剣道の稽古をするために早朝に自宅を出たが、忘れ物を思い出して引き返す途中だったという。

平成20年から機動隊勤務で、東日本大震災の被災者捜索で岩手県釜石市にも派遣されていた。

同庁警務部の桜沢健一参事官は「職員がこのような事案を起こし逮捕されたことは遺憾」と話した。

「京」「洛」貴族は出自で使い分け?

「京」「洛」貴族は出自で使い分け? 滋賀大准教授が日記調査てふ!

2017/07/04(火)

「京」か「洛」か―。ともに都の意味を持つ二つの字を、平安貴族はどう使ったのか。

滋賀大教育学部の安藤哲郎准教授(37)=人文地理学=が貴族の日記を網羅的に調べた研究がまとまった。

「帰京、京中」など「京」を用いた言葉が元は主流だったが、11世紀半ば以降、「帰洛、洛中」など「洛」の記述数が「京」を上回る日記も現れる。

ただ、「洛」が増えた時代でも、特に古式を守る摂関家の人は「京」にこだわり、多用した傾向が分かった。

藤原道長の「御堂関白記」をはじめ、活字化されている平安貴族19人の日記を対象に「京」と「洛」を含む言葉を拾って数えた。

平安京を指す言葉では古くから「京」が使われ、右京は「長安」、左京は「洛陽」とも称された。

しかし右京の衰退に伴い、「洛」が京都全体を表す言葉として広まったとされる。

調査した日記のうち、最も古い藤原忠平の「貞信公記(ていしんこうき)」や道長の「御堂関白記」は、「京」が多く使われたのに対し、「洛」は1件も確認できなかった。

その後「洛」を用いる日記が増え、院政期に入る11世紀半ば以降の源俊房を最初に源経信、藤原宗忠、藤原為隆、九条兼実の日記は「洛」が「京」を上回った。

安藤准教授は「洛が多い貴族は、大まかに言うと世相や家柄的に出世があまり望めなかった実務家タイプが多い。

九条兼実だけは後に摂関になるが、当初は平清盛にくみせず、雌伏の時を過ごした」と解説する。

対して「洛」が浸透した11世紀以降でも藤原師通(もろみち)や藤原忠実は「京」が圧倒的に多い。

「2人とも家柄的に早い出世が見込まれ、実際に摂政や関白になった。忠平、道長を含め、生まれながらに摂関を意識した家柄の人は、古くからの『京』を厳格に用い、『洛』はあまり使わない感覚があったのでは」と推測する。

19人の日記中「京」を含む単語は58種類あり、頻出したのは帰京(333件)、京中(130件)、京、出京、入京の順。

「洛」を含む単語は17種類で帰洛(304件)、入洛(108件)、上洛、参洛、出洛、洛中が多い。

安藤准教授は「今後、鎌倉や室町など通史的変遷も調べたい」としている。

■変化「下から起こる」

国際日本文化研究センター(京都市西京区)の井上章一教授の話 今なら「上京する」というと東京に行く意味が強く、京都を表すには「入洛」とか「洛」を使う方が分かりやすい場合もあるが、その「洛」の出自をたどると、あまり出世の期待できない貴族が多く使っていたというのは非常に意外で面白い。

摂関家の人は古い伝統を守らないといけないが、下の人から見たら何を気取っているんやみたいな思いもあったやろうし、院政期に入るころにはいろんな変化が下から起こっていたんやろうね。

【 2017年07月01日 17時00分 】京都新聞

閉ざされた地下世界

閉ざされた地下世界、郵便鉄道と巨大シェルター

東京やニューヨークをはじめ大都会の真下には、たくさんのトンネルや配管があり、縦横無尽に人や物を運ぶ役目を果たしている。

その中にはなにやら後ろ暗い素性を秘めているものも少なからずある。

ナショナル ジオグラフィックの書籍『世界の果てのありえない場所』には、過去に存在したスパイトンネルや地下通信施設、未完成の地下鉄など、いわく付きの地下世界も紹介されている。

今回はその中から、ロンドンの「郵便地下鉄」と中国の「北京地下城」を取り上げよう。

地下を走る郵便鉄道

地下鉄発祥の地、ロンドン。世界初の地下鉄路線として、パディントンのビショップスロードとファリンドンストリート間にメトロポリタン線が開業したのは1863年のことだった。

以来、ロンドンは地下世界を隠し持つ街となった。

熱心な地下マニアなら、この大都会の地下に全長10.5キロメートルほどのトンネルと電車路線が通っていて、2003年まで実際に使われていたことも知っているだろう。

街の西部に位置する山の手のパディントンから、切り裂きジャックで有名な下町、イーストエンドのホワイトチャペルを結び、手紙や小荷物の運搬に大活躍した路線である。

地下鉄発祥の地であるロンドンには、自動運転の地下郵便鉄道も存在した

この地下郵便鉄道は1987年に「Mail Rail」と名付けられて広く知られるようになった。

計画が持ち上がったのは第1次世界大戦の直前のことだ。当時の道路は馬車や初期の自動車でごった返し、街中深い霧に覆われて見通しが悪かった。

ロンドンの主要な郵便物仕分け所の周辺では配達の混乱が慢性的に続いていた。その解消を目的として建設されたのである。

1927年、地下郵便鉄道の開業によってロンドンにもう一つ、世界初が誕生した。

自動運転電車である。

最盛期には8カ所に駅があり、手紙やその他さまざまな郵便物を載せて1日に数回、往復していた。

しかし、電話の出現に始まり、ファクスや電子メール、携帯メールの普及に伴い次第に活気は失われていった。

その後、路線は縮小されて駅はわずか3駅を残すだけとなり、地下郵便鉄道はその役割を終えることになった。

北京の巨大シェルター

一方、北京には、もともと地下鉄として建設が始まったものの、市民を守るための巨大シェルターへと発展した地下世界があった。

「北京地下城」だ。

世界で最も強大な、しかも隣接する二大共産主義国だった中国とソビエト。
1969年の春には中ソ国境で両軍が衝突する小競り合いが続いていた。

これより7年前に米ソを巻き込んだキューバ危機と同じく、この衝突は世界を核戦争の瀬戸際にまで追い込んだ。

ことの発端は、かつて清国とロシア帝国の間で結ばれた条約を巡る領土問題だった。

さらに数世紀前から両国の間では国境を巡る論争が絶えなかった。

万が一、攻撃が始まれば米国は中国側につくだろうという意向を米政府がソ連指導部に明示したことで、核の使用はかろうじて回避された。

嵐は去ったかに見えたが、先々紛争が起きる恐れはぬぐい去れなかった。

毛沢東主席は、中国には来たるべき核攻撃に備える必要があるという考えを強めた。

これより4年ほど前、北京では新たに地下鉄の建設工事が始まっていた。

この事業は皮肉にも、かつて毛沢東がモスクワを訪問した折りにソ連の技術支援を取り付けて実現したものだった。

この地下鉄は公共交通機関というよりも民間防衛を目的としており、トンネルが核攻撃に耐えられるかどうかの検証試験まで、ロプノールにある中国の核実験場で実施された。

しかし、1969年に起こったソビエトとの軍事衝突を受けて、地下鉄工事は地下の複合施設建設へと転換された。

網の目のように走る秘密の避難用トンネルが、中南海から共産党本部、さらに北京郊外の八大処にある軍事基地まで、重要拠点を縦横無尽に結ぶコンクリート造の巨大地下壕である。

こうして北京の地下に作られた都市「北京地下城」は、最終的には北京市民600万人全員を収容することを目指して計画された。

北京の地下には、巨大なシェルターとおぼしき施設が張り巡らされているという。

たがこれは、到底、達成できるとは思えない目標だった。

この核シェルターとおぼしきコンクリートの施設が、一体どこまで広がっているのかはわかっていない。

だが、天安門広場の下を走るトンネルは戦車が通れるほどの大きさだと噂され、トンネル網は130平方キロもの範囲に及んでいたと考えられている。

2000年にはトンネルのごく一部が一般公開された。見学者が地下へと降りていくと、そこには気味が悪いほど殺風景な空間が広がっていた。

じめじめとした階段の壁一面には色あせたプロパガンダのポスターが貼られ、核物質を吸い込まないようにマスクを装着せよと呼びかけている。

この毛沢東最晩年の時代の空気を封じ込めたタイムカプセルは、2008年に「修復」工事を理由に閉鎖された。

北京地下城の大部分は手つかずで残されたが、立ち入ろうにも困難を極め、また立ち入りは禁止されている。

一部は北京の地下鉄網に接続されている。

すでに世界第2位の規模となった今も、北京地下鉄は着々と拡大を続け、今後10年以内に総延長距離はさらに2倍となる。

商業や労働は、国防や戦争に勝るとでもいうように。

ガラス「ルパートの滴」

銃弾をも砕くガラス「ルパートの滴」。ようやく仕組みを解明

2017//05/26(金)

溶けたガラスを水に垂らしたとき、いったい何が起こると思いますか? ガラスが水に触れて冷やされることで、オタマジャクシのような透明の物体ができるのです。

そして、一端は防弾ガラスのように強靭なのですが、もう一端はとてももろいのです。

このガラス自体は400年前から作られていたのですが、最近になってその不思議な構造の仕組みが判明しました。

このガラスはドイツのルパート公にちなんで「ルパートの滴(別名:オランダの涙)」と呼ばれています。

SmarterEveryDayのDestin Sandlin氏がYouTubeに投稿した動画では、このルパートの滴の分厚い一端を狙って22口径の銃弾を撃ちます。

そして銃弾がガラスと衝突した瞬間に、見事に銃弾が砕け散っているところを動画(https://youtu.be/F3FkAUbetWU)で見られます。

ルパートの滴の作り方は至ってシンプル。

ソーダ石灰ガラスや鉛ガラスのように高い熱膨張係数を持つガラスを冷たい水に垂らして、急激に冷すだけ…でも、その2つの要素こそが大事なんです。

この滴が急速に冷えることによって外側が内側より速く冷却され、外側の層に極端な圧力がかかり、逆に内側には強く引力が働きます。

これらの力によって、ルパートの滴の一端に驚くべきほど強い硬さが生まれるのです。

通常内向きの張力はガラスをもろくしますが、外側に対抗する圧力がかかっているため、銃弾で打たれても壊れないような強いガラスになります。

科学ジャーナルApplied Physics Lettersに投稿された論文によると、パデュー大学の研究チームは偏光フィルターを使って、ルパートの滴内部の圧力のかかり方を視覚的にわかるよう画像にしました。

そして研究者たちは、複雑な数学の技術を使って写真を処理し、滴内部の圧力を計算しました。

6.4平方センチ(1平方インチ)あたり50トンもの圧力がかかっているため、滴の頭の部分だけではありますが、鉄と同じくらいの強度があったのです。

ルパートの滴のもう一端は、薄くて長い尻尾のようになっていて、頭の部分と比べるととてももろい構造になっています。

1994年に行なわれた研究で、ルパートの滴を折ると、時速6,437kmの速さでガラス全体に亀裂が入り砕け散るということは明かされていました。

これらの研究は、将来的にスマートフォンやタブレットの液晶ガラスへの応用が期待されています。

もし、ルパートの滴のような液晶ガラスができたら、落としても割れないどころか、銃弾をはじくことができるようになるかもしれません。

ミシマサイコの概要

ミシマサイコの概要

ミシマサイコは日差しのよくあたる日本各地の草地などに見られる多年草で、花は、夏と秋の間で開花させます。

その色は黄色をしています。

ミシマサイコでは、静岡県三島産のものがあり、これが質の良いものとされています。

名称もこれに由来したものとなっています。薬草に利用されるのは根の部分で、柴胡(さいこ)と言われています。

これはミシマサイコの生薬名であり、日本薬局方にもその記載が見られます。ミシマサイコの薬草としての歴史も非常に古く、神農本草経などにも記録が残っているとされています。

現在、健康保険に漢方製剤が適用され出してから、非常に沢山の漢方薬が市場へ出回っています。

この流通している漢方薬の処方では、子柴胡湯と言われる製品が非常に多い生産高を誇っていると言われています。

この子柴胡湯を作っている薬草の中で主軸となっているのがミシマサイコの柴胡とされています。

適応症状は、様々な臓器の炎症で、慢性肝炎を含め、ひきずった風邪などの症状に対して使われています。

ただ、子柴胡湯はそこそこ体力を有する人に最適とされているため、体力があまりない人に対しては補中益気湯と言われる漢方薬が処方されます。

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ミシマサイコ/薬草で期待される効能・効果

慢性肝炎、臓器の炎症、初期段階の風邪、喘息といった症状に対してその改善目的で利用されています。

これらはいずれも漢方の領域において複数の薬草が配合された結果、生じる作用であって、単体の作用ではありません。

また、ミシマサイコを単体で使用されることもありません。

多くは、漢方の領域において配合され、且つ処方されています。

やっぱり水の中に藻がありましたが、水は「三島が一番」って思いました。

ミシマサイコ(三島柴胡)

ミシマサイコ(三島柴胡)

ミシマサイコ(日のあたるベランダで中国五千年の薬草を栽培して、美容に健康に人生をすごしてみてはいかがでしょうか)中国五千年に伝わる薬草、ミシマサイコはいろいろな漢方処方に応用されています。

古代の中国の貴族は、いろいろな薬草を煎じ長生きをしたと言うことが伝えられています。

今こそこのミシマサイコの薬草を試して健康に老後を楽しく過ごしてみましょう。

野菜や果物のように新鮮な薬草を自分で作って試してはいかがでしょうか。

一年育てた根を水洗いをしてからやかんに入れ、熱いお湯で煎じてお茶として、またお酒や焼酎に漬けて薬酒としても召し上がれます。

化粧品としても利用されています。風呂のお湯の中に入れ薬湯とすれば、肌がツヤツヤになります。

アトピー性皮膚炎、アレルギー体質で、皮膚の炎症に悩まされている方。

ミシマサイコの根または葉からのエキスを外用で、皮膚炎予防効果があります。

◆栽培方法

1.プランターに腐葉土を8分目まで入れる

2.土を薄く(1cmくらい)一目にまぶし、この土の上に種子をまきます

3.この種子の上に腐葉土を1cmぐらいの厚さになるように、まぶします
注意プランターは水はけがよいようにそこに多くの穴を開けておきます

4.水をたっぷりやり、日当たりの良いところにおいておきます。
その後20日ほどで、芽が出ます。種子は4月上旬、または9月上旬にまきます。

花が咲いた後にゴマのような種子がたくさん出来ます。この種子を採取してから根をほりあげて薬草とします。

種子は翌年にまた、種まきに使用することが出来ます。このミシマサイコは誰でも、どこでも、すぐを栽培することが出来ます。

種子を春まき、秋まきの年二回で行うことが出来、一年で根が肥大して根が薬草となります。

また、黄色のかすみそうと区別が付かない綺麗な花が、7月から11月にかけて咲きほころびますので観賞用としても楽しむことが出来ます。

伝統の「かえるとび大会」取りやめに

伝統の「かえるとび大会」取りやめに 環境省が、今後祭りでウシガエルを使用した場合は罰金な、と宣い 代わりにカエルの人形をとばします

2017/07/21(金)

香川県坂出市にある神社の夏祭りに合わせて開かれてきたカエルをとばして距離を競う

「かえるとび大会」が、

環境省の指導により、ことしから別の催しに変更されることになりました。

この「かえるとび大会」は、川で捕まえたアマガエルやウシガエルなどをとばして距離を競うもので、坂出市川津町の大宮八幡神社で夏祭りの催しの一つとして平成元年から開かれてきました。

環境省によりますと、ウシガエルは特定外来生物に指定されていて、運搬などが原則禁止されているということで、大宮八幡神社は、去年8月、環境省から
今後、祭りでウシガエルを使用した場合は罰金などが科されるとの指導を受けたということです。

このため神社は、23日開かれることしの夏祭りではウシガエルを使わず代わりにカエルの人形をとばすゲームなど、別の催しに変更することにしたということです。

大宮八幡神社では

「好評のかえるとび大会が開催できなくなったのは残念だが、新しい催しで引き続き祭りを盛り上げたい」

と話しています。

栗東で最大級の木製埴輪出土

栗東で最大級の木製埴輪出土

2017年07月20日

滋賀県栗東市にある古墳から、全国でも最大級の木製の埴輪が見つかり、応神天皇の陵墓とされる大阪の古墳で出土したものと似ていることから、大和政権とのつながりを示す発見として注目されています。

栗東市によりますと、5世紀前半の豪族の墓とされる椿山古墳で、ことし2月から3月にかけて、堀の部分の発掘調査を行ったところ、当時の身分の高い人にかざす、だ円形の「かさ」をかたどった「笠形木製品」と呼ばれる木製の埴輪が6点見つかりました。

このうち2点は、直径が76センチと75センチで、大和政権を治めた応神天皇の陵墓とされる大阪・羽曳野市の「誉田御廟山古墳」で出土したものに次いで、全国でも最大級の大きさだということです。

栗東市によりますと、「笠形木製品」は全国で300点以上見つかっていますが、ほとんどが直径50センチ以下で、「誉田御廟山古墳」と類似したものが見つかったことは、大和政権と近江地域に強いつながりがあったと推測できるとしています。

調査した京都橘大学文学部の一瀬和夫教授は、「素材や作り方が誉田御廟山古墳のものと同じと思うほどに似ている。大和政権の中枢に近い人物が近江地域を支配していたのではないか」と話しています。

犬が人間の親友になった理由、遺伝子にあり 研究

犬が人間の親友になった理由、遺伝子にあり 研究

2017/07/20(木)

【AFP=時事】非常に人懐こい犬には、ある発達障害の人々と共通の遺伝的類似性があるとする研究論文が19日、発表された。

ウィリアムズ症候群と呼ばれるこの発達障害は「自閉症の対極」とも呼ばれ、極端な社交性が特徴だ。

米科学誌「サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)」に掲載された論文では犬およびウィリアムズ症候群の人々にみられる極端な社交性に関連した2種類の遺伝子の変異が指摘された。

今回の発見は、犬が数千年前にオオカミの祖先から枝分かれして家畜化した経緯についての新たな考察を示している。

研究では、飼い犬18匹と捕獲したハイイロオオカミ10匹を対象に、課題解決能力や人間に対する社交性について調べた。

箱のふたを持ち上げてソーセージのおやつを取り出す課題では、同じ部屋にいる人に対しどの程度助けを求めるかで評価した。

その結果、オオカミは犬よりもおやつを取り出す方法を見つけ出せる場合が多く、また犬は近くにいる人を恨めしそうに見つめていることが多かった。

続いて研究チームは、オオカミと犬の血液を採取して分析。

その結果、犬のGTF2IとGTF2IRD1という2つの遺伝子に変異があることが判明した。

「(これらの変異は)犬の極端な社交性に関連するとみられ、このことが犬とオオカミを隔てた家畜化の主要因となった」と論文は述べている。

これらの遺伝子はこれまで、ウィリアムズ症候群の人々の極端な社交性との関連性が指摘されていた。ただ、変異そのものについては、人のそれとはちがっていた。

論文の共同執筆者である米プリンストン大学(Princeton University)のブリジット・フォンホルト(Bridgett vonHoldt)助教(生態学・進化生物学)は、「われわれは『社交的な遺伝子』は発見できなかったが、動物の性格を形成し、野生のオオカミを従順な犬に家畜化するプロセスを助けた重要な(遺伝的)要素を発見した」と語っている。

米コーネル大学(Cornell University)助教で犬遺伝子の専門家であるアダム・ボイコ(Adam Boyko)氏は、「今回の研究では全体の標本サイズが小さいため、より多くの種類の犬でこれらの変異の関連性を立証することが必要だろう」と述べている。